国宝・犬山城のある愛知県犬山市。ここには、日本で唯一、霊長類を総合的に研究する京都大学霊長類研究所があります。今回は、この研究所で、森林が霊長類に与える影響をテーマとして研究されている、半谷吾郎准教授に話を伺いました。
半谷先生はヤクザル調査隊の事務局長でもあり、1993年以来毎年、屋久島のニホンザルを調査されています。そして2006年から2008年にかけての2年半はボルネオ島でも、そこに生息する霊長類を調査・研究されています。そんな半谷先生に、温帯と熱帯の森林とそこに棲む霊長類についてはもちろんのこと、サルを研究する理由など先生自身に関することや、減りゆく熱帯の森林に関することなどについてもお聞きしました。全4回でお送りします。
vol.1となる今回は、『霊長類研究者として』と題して、半谷先生が霊長類研究者になった理由や、研究してみて一番「おおっ!」と思った経験についてお聞きしました。
皆さんはサルの研究者と聞いて何をイメージしますか?「サルを野生で観察出来て楽しそう」などと私などは思っていましたが、お話を聞くとこのようなイメージはサル研究の一側面しか捉えていないようです。
――色々な生き物がいる中で、なぜサルを研究しようと思われたのですか。
それは学問的な理由ではないですね。「かわいい」とかそういうレベルの話です。サルを研究したいと言う人には2種類あって、1つは特に人類学の本を読んで興味を持ち、理論的な方面から入る人。ヒトを理解するためにはサルを理解するというのが1つのやり方なので、このような方面からサルを研究する人たちがいます。ただ、僕はそうではなくて生き物の1つとして昆虫に興味がある、鳥が好きというのと同じ感覚でサルが面白かった。かわいいし見ていて面白い。やっぱり対象を愛せないと、好きでないと研究できません。
ただ、見ていて面白いと言うのと研究していて面白いと言うのは別です。例えば、100匹のアリがどういうふうに動いているかというデータや分析結果。それ自体は確かに面白いんだけれど、100匹のアリを僕が追いかけるとなると、それは耐えられない。けれど、サルならできる。そうは言ってもサルの日常って、特に劇的なことは何も起こらないんですよね。よくテレビでチンパンジーの血沸き肉躍るような映像が流れるじゃないですか。けれどたとえチンパンジーでも、その日常は食べて休んで動いて、毛づくろいして、そういうことの積み重ねなんです。それでも面白いと思えるか。僕はこれを退屈とは思いませんでした。研究するためには同じようなことを飽きるほど繰り返して、膨大な量のデータを集めなければなりません。これを繰り返すことができる人でないと、稀にしか起きない「おおっ!」と思うことには出会えないんですよね。
――そんな忍耐力が必要な研究をこれまで続けてこられた中で、「おおっ!」と思った経験はありますか?
そうですね、データを分析してみて初めて、思ってもみなかったようなパターンが現れて、世の中こういうふうに繋がっているんだと思ったのは、1回ぐらいしかありませんね。屋久島で、ニホンザルの分布を調べてみると、屋久島の海岸部、標高で言うと400mまでの所にはサルが沢山いて、それより標高が高い所はその3分の1くらい。あとは一番高い所に行ってもそれほど変わらない。つまり、サルの垂直分布は不連続に変化するんですね。
なぜこのようになっているのかについて、僕は最初サルの食べ物と関係するだろうと思っていました。春夏秋に30頭分の食べ物があって冬に10頭分の食べ物しかない場合、10頭しか生きられないですよね。つまり、サルの数は一番厳しい時の食べ物の量で決まるという仮説を持っていたんです。そこで、サルの食べ物がどのくらいあるのかを、屋久島の標高が高い所、真ん中くらい、低い所で2年間調べてグラフを書いてみると、季節変化の大きさはどう見ても標高によって連続的に変わっているようにしか見えない。サルの密度のように海岸部だけ違うと言うようには見えなかったんです。これはどういうことだと。
そこで、1年間にサルの食べ物が総量としてどれくらいあるかというのも計算できたので、計算してグラフを書いてみました。すると、それは海岸部だけ大きくて他は変わらないというパターンでした。「おおっ」と思い、そこで世の中はどう繋がっているのかということがわかりました。
先ほど、春夏秋に30頭いても、冬に10頭分の食べ物がなければ10頭しか生き残れないと言いましたよね。でもそうではないんですよ。それはなぜかと言うと、サルは沢山食べられるときに食べて、体に脂肪として蓄える。それで冬を乗り越えるんです。だから、1年間食べ物が沢山あれば、少々少ない時期でも乗り越えられるんですよ。つまり、今までの自分の仮説(サルの数は最も厳しい時期の食べ物の量で決まる)は間違っていて、全然違うこと(サルの数は1年間の食べ物の総量で決まる)が真実だったというのにデータを見て初めて気づいたんです。まあ、思っていたこととは違うデータが出ることは多かれ少なかれあるんですが、ここまで全く思いもつかないことをデータに教えられたのはその1回だけかもしれません。
これとは逆に、思った通りの結果が出て「おおっ」と思ったこともあります。これも屋久島の話なんですが、大学院生の時、他の人が屋久島の海岸で研究するなか、僕だけ標高の高い所で研究していたんですね。すると標高の高い所のサルは葉っぱを沢山食べることが分かったんです。距離的には7kmくらいしか離れてなくて、少なくともオスは行ったり来たりしている。つまり、標高の高い所のサルも低い所のサルも遺伝的には一緒なんです。なのに食べるものがこれほど違うのは何かわけがあるはずだとずっと思っていました。
そこで、標高の低い所と高い所のサルの消化能力を調べてみました。消化能力とは腸内細菌の消化能力のことです。この細菌の消化能力をどう調べるかというと、屋久島の標高が低い所と高い所から新鮮な糞を取って来て、葉っぱと混ぜて発酵させるんです。すると、標高の高い所のサルの糞の方が沢山ガスが出た。つまり、沢山発酵している。僕は違うものを食べているサルが、同じように消化しているのかな、そんなことないよねと、大学院のころからずっと思っていましたが、やはりそんなことはなくて、普段から葉っぱを沢山食べる上の方のサルは葉っぱを消化する能力が高かった。予測はしていましたが、こういうことを示したデータを他に見たことがありませんでしたし、あまりにも予測通り過ぎてかなりびっくりしました。「おおっ」て思いましたね。
どうやら先生がサルの研究を目指したきっかけは、私たちがあの動物が好きだから動物園に行くというようなことと似ているようです。しかし、動物園やテレビで動物を見るということと、動物を研究するということは、全く次元の違う話であるということを、先生のお話の中で改めて感じさせられます。確かに、テレビは一部の劇的な所しか映しませんし、動物園でもある動物を見る時間なんてものの数分でしょう。一方、動物を研究し、この動物は○○であるというためには、膨大な時間の観察と膨大なデータの収集が必要です。たった数日の間に起きた出来事で言えることなど、印象論でしかありません。研究者はまず、この長い長い観察とデータの収集をしなければならない。更に大変なのは、動物の日常ではあまりに何も起こらないということです。それは人間に近いサルだって同じです。だからこそ、たまに見られる「おおっ」という現象に心躍らせることができるのでしょうが、30年近くサルを研究する半谷先生ですら、その経験は数回しかないということを聞くと唖然とせざるを得ません。このように、忍耐を必要とする動物の研究を続けるためには、対象への愛が欠かせないと先生は言います。研究という試練を乗り越えた研究者たちの「動物が好き」と、私たちのそれとの間には大きな隔たりがあるように思えてなりません。さて、“研究すること”に焦点を当てた今回でしたが、次回以降は先生の研究内容について聞いていきたいと思います。vol.2では、屋久島だけでなく熱帯のボルネオ島でも研究経験がある先生に、熱帯の森林の特徴と、そこに棲むサルの特徴についてお話しいただいています。