キタオットセイの基本情報
英名:Northern Fur Seal
学名:Callorhinus ursinus
分類:食肉目 アシカ科 キタオットセイ属
生息地:ロシア、アメリカ合衆国、カナダ、日本、韓国、北朝鮮、メキシコ
保全状況:VU〈絶滅危惧Ⅱ類〉

参考文献
性的二型と繁殖
キタオットセイは回遊する海棲哺乳類で、夏になると繁殖場となるきまった海岸に一斉に上陸し、繁殖を行います。
そしてその後は一切上陸することなく長いと3,000㎞先にある採餌海域を回遊し、次の夏にまた繁殖場に戻ってきます。
そんなキタオットセイは体サイズの性差が非常に大きい生き物で、オスの体重はメスの4倍以上にもなります。
このように形態的に性差があることを性的二型と言い、この差が大きい哺乳類は、ゴリラや有蹄類のように多くのメスを少数のオスだけが独占できるような繁殖システムをとることが多いです。


キタオットセイもその例に漏れることなく、一夫多妻の配偶システムを持ちます。
成熟したオスは5月下旬ごろ、繁殖地となる海岸(ルッカリー)に上陸し、ディスプレイや音声、体や歯を使った攻撃の末、なわばりを確立します。
そうしたオスは、6月末から7月初めに上陸してくる成熟メスを独占します。
成熟メスは上陸後1~2日で前の年に身ごもった子供を産み落とし、その2~7日後に発情を開始。
なわばりをもったオスと交尾したのち、4ヵ月ほど産んだ子を育てます。
一方のオスは7月末までの最大50日、飲まず食わずで繁殖に勤しんだのち、海に戻り回遊を始めます。
ところで、なわばりを確立できないオスたちはこの繁殖期の間何をしているのでしょうか。
1年目の若いオスたちの多くは海で過ごすことが多いとされています。
また、上陸したとしてもその時期が遅かったりルッカリーからは離れた周辺部(ホーリングランド)に留まったりすることが多いです。
その後8歳ごろから上陸時期が早まり、繁殖の中心地に陣取ることができるようになります。
ちなみに、キタオットセイは生まれた繁殖場への回帰性が非常に強いとされていますが、若いうちはそうでないことが多いようです。
キタオットセイのうち、実際の繁殖にかかわる個体の性比は通常、オス1に対しメス20、最大100以上にもなると言われています。
キタオットセイは体サイズの性比と一夫多妻の程度が最も大きい哺乳類とされています。

毛皮がもたらした悲劇
アザラシと違って鰭に毛が生えていないアシカ科は、大きくオットセイの仲間とアシカの仲間に分けられます。
このうちオットセイの仲間は被毛が発達しており、保護毛と下毛からなる二層の被毛を持ちます。
この被毛は水に体温を奪われるのを防ぎますが、この魅力的な効能は人間の需要を掻き立ててしまいました。
18世紀末、保護毛を除去する技術が確立されてから、ラッコに変わる資源としてキタオットセイが毛皮猟の標的となります。
ロシアは国策企業を興し、キタオットセイが最も集まる繁殖場であるベーリング海のプリビロフ諸島で、繁殖に集まるキタオットセイを乱獲します。
その結果キタオットセイの個体数は激減しますが、メスの捕獲を禁じたり、繁殖できないオスだけを狙ったりするという管理により、1830年ごろには30万頭前後にまで減少していた個体数は、1867年には200万~250万頭になるまでに回復します。

その1867年、クリミア戦争に敗れたロシアは、アメリカにアラスカを売却します。
アメリカはこの買収以降、費用を回収するためにオットセイ猟に注力し、1870年からの40年で218万頭を捕獲します。
その結果、プリビロフ諸島の個体数はまたもや激減してしまいました。
この頃、それまで陸上に限られていたオットセイ猟が、技術開発によって海上でも行えるようになりました。
すると海上での猟について、カナダの領主国であるイギリスとアメリカで対立が生じ、国際裁判にまで発展します。
一方、1890年、繁殖場がある千島列島やチュレニー島(日露戦争後に日本領となり、海豹島と呼ばれた)にほど近い日本がオットセイ猟に参入します。
その後、法を整備し、猟を大臣許可制として国を挙げてオットセイ猟に注力していきます。
こうしてオットセイ猟に東西4ヵ国が参加し、乱獲が止まらない事態となった結果、国際管理体制の構築が目指され、1911年には海上猟獲を禁止する日米英露おっとせい保護条約が締結されます。
その後、おっとせいの保存に関する暫定条約が締結されますが、これは毛皮への需要減退環境保護運動の高まりにより幾度かの更新ののち、最終的に1984年に失効します。
今では原住民などごく一部がキタオットセイ猟を行うのみとなりましたが、こうしてかつては400万頭いるとされたキタオットセイは、主に毛皮を目的とした猟により、今では約120万頭にまで減少してしまいました。
それでも彼らはアシカの中では最多の個体数を誇ります。
人間の欲望の牙にかかってもなお、生存し続ける彼らの生命力に感嘆します。
ちなみに、1911年の条約が締結されたことを受けて、1912年、日本では猟虎膃肭獣猟獲取締法が制定されます。
これは現在も有効で、農林水産大臣の許可なくキタオットセイおよびラッコを捕獲、所有することは禁じられています。
キタオットセイの生態
生息地
キタオットセイは北太平洋にかけて広く生息します。
外洋性であり、沿岸で見られることは多くありません。
繁殖の舞台は東部ベーリング海のプリビロフ諸島とボゴスロフ島、西部ベーリング海のコマンダー諸島、オホーツク海の千島列島とチュレニー島、カリフォルニア沖のサンミゲル島とファロン島などに限られています。
形態
体長はオスが210㎝、メスが150㎝、体重はオスが180~270㎏、メスが43~50㎏で、オスがタテガミを持ち黒い一方、メスは茶色や灰色をしています。
キタオットセイは1㎝四方に4万5千本以上の毛を持ちます。

食性
キタオットセイはえり好みせず日和見的に捕食するとされ、同じ海域でも年代によって主要な餌生物が変わることもあります。
種としては、マイワシやカタクチイワシ、裸イワシ、マサバ、スケソウダラ、ホッケ、スルメイカなどを食べます。
捕食者にはシャチやホホジロザメが知られており、トドもキタオットセイの子供を食べることもあるようです。


行動・社会
キタオットセイは夕暮れから朝方にかけて潜水することが多く、それ以外は海上に浮かびながら休息します。
半球睡眠をするため、休息中も危険を察知することができます。
回遊中は単独で見られることが多いです。
潜水時間は平均約2分で60m程度まで潜水しますが、最長で7.6分、最深207mまで潜水した記録があります。
特に繁殖期間中のコミュニケーションには視覚や聴覚、嗅覚が用いられます。
母子間では互いを認識する音声によるコミュニケーションが重要です。

繁殖
繁殖には明確な季節性があります。
メスは3.5~4ヵ月の着床遅延を含め、約1年の妊娠期間ののち、夏に繁殖場に上陸してからすぐ体重5.4~6㎏、体長60~65㎝の赤ちゃんを一頭産みます。
母親はその2~7日に発情を開始し、オスと交尾します。
そしてまたすぐあと、母親は産んだ子供を残して採餌のために約1週間海に出ます(採餌トリップ)。
この間、子供は他の子供たちと集まって過ごします。
母親が採餌から帰ると数日子供に授乳し、また採餌に出かけます。
これを10回前後繰り返した4ヵ月ののち、子供は離乳し回遊を始めます。
メスは4~6歳ごろ性成熟に達する一方、オスが実際に繁殖できるのは8歳以降、自分のなわばりを確立できるようになってからです。
寿命はオスが18年、メスが25年です。

人間とキタオットセイ
絶滅リスク・保全
狩猟という脅威は小さくなったものの、彼らの個体数は減少中で、IUCNのレッドリストでは絶滅危惧Ⅱ類に指定されています。
現在では、漁業による餌生物の減少や、混獲、海洋ゴミや漁具への絡まりなどが脅威となっています。
歴史的に個体数を激減させてきたプリビロフ諸島ですが、今でも全個体数の約45%が繁殖場として上陸していると推測されています。

動物園
日本では福島県のアクアマリンふくしまと、岡山県玉野市の渋川マリン水族館(玉野海洋博物館)でキタオットセイを見ることができます。
実は日本では縄文時代の貝塚から歯や骨が出てきたり、江戸時代には強壮剤として藩や幕府に献上されたりと、意外に昔から付き合いのあるキタオットセイ。
また、今でも三陸沖など日本近海に姿を現すことがある彼らに会いに、ぜひ足を運んでみてください。