アゴヒゲアザラシの基本情報
英名:Bearded Seal
学名:Erignathus barbatus
分類:食肉目 アザラシ科 アゴヒゲアザラシ属
生息地:カナダ、グリーンランド、アイスランド、ノルウェー、ロシア、アメリカ合衆国、中国、フランス、ドイツ、日本、オランダ、ポルトガル、スペイン、イギリス
保全状況:LC〈軽度懸念〉

参考文献
あご髭と体毛
鰭脚類は口唇部の洞毛もしくは感覚毛と呼ばれる毛が発達していますが、北極圏に生息するアゴヒゲアザラシでは、その名の通り特にもじゃもじゃです。
この長くて密集した感覚毛は、彼らの食性に関係しています。
アゴヒゲアザラシはベントス(底生生物)食性を示します。
通常100m未満の深さを潜り、海の底に住む貝類や甲殻類、アークティックコッド(ホッキョクダラ)などを捕食します。
この時、餌を知覚するためにこのひげが役立つのです。
こうした食性のため、彼らは採餌方法も独特です。
多くの鰭脚類が獲物を咥え取り、そのまま飲み込みますが、アゴヒゲアザラシは喉や顎の動きで口腔内に陰圧を作り出すことで、獲物を吸い取って捕食します。
これは吸引索餌(suction feeding)と呼ばれ、ハクジラ類にも見られる方法です。

この採食方法に関係して、彼らの歯も特徴的です。
咀嚼せず飲み込む鰭脚類の採食方法は、彼らの歯をすべて同じ形にしました。
このような同型歯性はアゴヒゲアザラシにも見られますが、吸引するという採餌方法により、彼らの歯は摩耗しているのです。
摩耗した歯は彼らの大きな特徴です。
ところで、あご髭以外にも、彼らは毛について、特に赤ちゃんの毛について特筆すべきことがあります。
通常、極圏に生息するアザラシの赤ちゃんの体毛は、周囲の景色に溶け込むよう、ホワイトコートやイエローコートと呼ばれる白や黄色がかった色をしています。
しかし、北極圏に生息するアゴヒゲアザラシの赤ちゃんは暗褐色。
これでは天敵のホッキョクグマにすぐ見つかってしまいます。

実はアゴヒゲアザラシの赤ちゃんはホワイトコートを脱ぎ捨てて生まれてきます。
ホワイトコートは温かいが水には弱い。
それをすでに脱ぎ捨てているということは、アゴヒゲアザラシの赤ちゃんはすでに水への耐性があるということ。
実際、彼らは生後数時間で泳ぐことができます。
泳ぐ能力は日に日に高まり、生後1週間ほどの個体が、5分以上、80mまで潜水したという記録があります。
つまり、アゴヒゲアザラシは、敵に見つからないという戦略よりも、逃げる戦略をとっているのです。
ホッキョクグマへの対策は、その後の育児にも見ることができます。
母親は日に何度かしか子に会わず、多くの時間を離れて過ごします。
これは、母子でいることでホッキョクグマに見つかりやすくなることを防ぐためと考えられています。
あご髭、体毛。
毛一つをとってみても、そこには彼らの個性がたくさん詰め込まれているのです。

アゴヒゲアザラシの生態
分類
太平洋とその周辺に住む亜種Erignathus barbatus nauticusと、大西洋とその周辺に住む亜種E. b. barbatusの2亜種が知られており、遺伝学的にもその存在が裏付けされています。
生息地
北緯85度までの北極圏および亜北極圏の海氷があるところに生息します。
すぐ逃げられるよう氷縁部で休息し稀に陸の縁でも見られます。
定着しているのはカナダ、グリーンランド、アイスランド、ノルウェー、ロシア、アメリカ合衆国のみ。
日本には定着はしていないものの、来遊する個体が北海道近海にいます。
形態
体長は2.1~2.5m、体重は190~360㎏。
メスの方がやや大きくなり、最大の物では400㎏を超えてきます。
アザラシ科の中では2種のゾウアザラシ、ウェッデルアザラシに次いで大きいです。
メスにはアザラシでは珍しく2対の乳頭があります。
前肢の爪が大きく、これで呼吸穴が凍らないようメンテナンスをしています。
4月から8月にかけて換毛し、この間は極力水に入らないようになります。

食性
200種以上の底生生物を捕食します。
通常深さ100m以内で採食することが多いですが、300m以上潜る個体もいます。
捕食者にはホッキョクグマ、シャチ、セイウチ、ニシオンデンザメが知られています。

行動・社会
昼行性のアゴヒゲアザラシは単独で暮らしますが、つながりの緩い小さい集団で見られることもあります。
季節移動する個体群もおり、春から夏には北方へ、秋から冬には南方に移動しますが、スバールバルの個体群のように定住している個体群もいます。
雌雄ともに水中で音声を出すことが知られていますが、特にオスは繁殖期によく水中音声を発します。
繁殖期の音声は歌の構造をとることもあることが知られています。
水中で音を出す仕組みは不明ですが、鳴くときに空気が漏れないことから、陸上での方法とは別の、例えば気管にある膜を振動させるといった方法がとられているのではと考えられています。
繁殖
出産のピークは3月下旬から5月中旬。
メスは着床遅延を含む約11ヵ月の妊娠期間ののち、130㎝、34㎏程度の赤ちゃんを一頭、雪の覆いがない海氷上に産みます。
赤ちゃんは母乳で1日に3㎏以上増えていき、生後18~24日で離乳します。
この頃、母親は発情をはじめ、オスと交尾します。
性成熟にはオスが6~7歳、メスが3~6歳で達し、9~10歳で最終的なサイズになります。
寿命は最大で25~30年です。
人間とアゴヒゲアザラシ
絶滅リスク・保全
アゴヒゲアザラシは、20世紀中ごろロシアにより商業的に捕獲されていたことがあり、その頃は年間1万頭前後が捕獲されていました。
また、アラスカでは土着の人々によって多いと年に1万頭近くが捕獲されていたようです。
狩猟による個体数への影響は不明ですが、太平洋の亜種だけで少なくとも25万頭はいると推測されています。
IUCNのレッドリストでは軽度懸念の評価です。
脅威となる可能性があるものとしては、狩猟の他、地球温暖化含む気候変動、事故などによる石油流出などがあります。
また、繁殖に水中音声を使う彼らにとっては、人間由来の音が脅威となる場合があります。


動物園
2002年に多摩川に出現し、世の話題をほしいままにした「タマちゃん」は、実は例外的に迷い込んできたアゴヒゲアザラシのオス。
タマちゃんに会うことはもはやかないませんが、日本では北海道のおたる水族館、千葉県の鴨川シーワールド、大分県のうみたまごでアゴヒゲアザラシを見ることができます
