ゼニガタアザラシの基本情報
英名:Harbour Seal
学名:Phoca vitulina
分類:食肉目 アザラシ科 ゴマフアザラシ属
生息地:ベルギー、カナダ、デンマーク、フィンランド、フランス、ドイツ、グリーンランド、アイスランド、アイルランド、日本、メキシコ、オランダ、ノルウェー、ロシア、イギリス、アメリカ合衆国、ポルトガル、スペイン
保全状況:LC〈軽度懸念〉
参考文献
泳ぐための体
アザラシは鰭脚類の中では最も泳ぐのに適した体を持っています。
でっぱったところがほとんどないその流線形の体が水中で受ける抵抗は、ヒトの3分の1ほど。
最も水流の抵抗を受ける部分は、ヒトが頭から15%の位置なのに対し、前肢を使って泳ぐアシカでは40%、後肢を左右に振って泳ぐアザラシでは50~60%の位置。
水の抵抗を最も受けるのが体の後方にあるため、彼らは優雅に水中を泳ぐことができるのです。
さて、ゼニガタアザラシはその英名の通り沿岸性の鰭脚類ですが、最も深くて480m、最長35分間潜水することができます。
彼らがこれほど長い間潜水できるのはなぜでしょう。
ゼニガタアザラシはヒトの2.5倍以上の酸素を水中で利用できることがわかっています。
それほどは大きくない肺を持つ彼らが多くの酸素を利用できるのには、その蓄積方法に秘密があります。
例えばヒトは、体内酸素の約4割を肺で、残りを筋肉中と血中に保有しています。
一方、ゼニガタアザラシでは、肺にある酸素は1割未満。
なんと9割以上の酸素を筋肉と血液の中に溜めています。
つまり、浮力を生む肺に頼ることなく筋肉と血液に多くの酸素を保持することで、彼らは優雅に泳ぐことができているのです。
ちなみに、こうした彼らの遊泳能力は、実は生態系にも影響を与えているとされます。
多くの海洋生物の排泄物は海底に蓄積していきますが、鰭脚類や鯨類などの遊泳能力を持ち、定期的に水面まで上がってくる種は、光が届かない場所でエサを食べ、水面近くで排泄をします。
これにより海底から水面へ養分の運搬がされるのです。
個体あたりの運搬量は鯨類が最多ですが、個体数が多い鰭脚類は、総量では鯨類に劣らない運搬量を持つとされています。
このような海中での垂直方向の養分の運搬は、鯨類ポンプと呼ばれています。
海中では自由に泳げるアザラシですが、陸上では反対に不格好です。
アシカが前肢と後肢を使って歩けるのに対し、アザラシは腹を使ってイモムシのように進むことしかできません。
優れた能力は環境があってこそ発揮されることを、彼らは教えてくれます。
喋るアザラシ
水中では音の伝達速度が空気中の4~5倍になると言われているため、水中で暮らす鰭脚類では聴覚が発達しています。
ただ、水中での音の出し方となると、水陸両生の鰭脚類は陸上とは別の方法を使っているとされています。
その方法は未だ不明ですが、水中で音を出すときに空気の漏れがないことから、気管の膜を声帯のように震わせているのではなどと言われています。
穴が開いた銭の模様が特徴的なゼニガタアザラシは、繁殖時に音声を使います。
メスは特に低い声を出すオスが好みらしく、この低い声は体が大きいオスほど出せることが知られています。
また、ゼニガタアザラシでは鰭脚類では珍しく、クリックスという音を出すことが知られています。
クリックスは鯨類ではエコロケーション(反響定位)に使用されていますが、今のところ、鰭脚類はエコロケーションを行わないとされています。
そんなゼニガタアザラシですが、人間の声真似ができる個体がいたことで有名です。
ニューイングランドの漁師の家の池で飼われ、その後水族館に移った、「フーバー」という名のゼニガタアザラシが、訛った英語で「Hello, there!」などと喋るのです。
フーバーは、子供のころに覚えたいくつかのフレーズを自発的に喋ったといいます。
今のところ人の声を模倣できたアザラシはフーバーだけですが、彼らが音声について相当な能力を有していることがわかります。
ゼニガタアザラシの生態
分類
一般的に東部太平洋(Phoca vitulina richardii)、西部太平洋(P. v. stejnegeri)、東部大西洋(P. v. vitulina)、西部大西洋(P. v. concolor)、カナダのケベック州北部にのみ生息するアンガヴァゼニガタアザラシ(P. v. mellonae)の5亜種が認められています。
このうちアンガヴァゼニガタアザラシの成熟個体は50頭未満とされており、絶滅が危惧されています。
生息地
北半球の温帯から北極圏の沿岸域に広く生息します。
定住性が強く、北海道にも東部から襟裳岬にかけて定着個体群が存在します。
日本に現れる鰭脚類のうち繁殖を行い定着しているのは彼らだけです。
形態
体長はオスが1.6~1.9m、メスが1.5~1.7m、体重はオスが70~150㎏、メスが60~110㎏で、性的二型がやや見られます。
体色には明色型と暗色型があり、ゴマフアザラシと見分けがつかない模様の個体もいます。
夏、1~2カ月をかけて換毛します。
食性
ジェネラリストである彼らは海底~海水面まで、魚類や甲殻類、頭足類、鳥類など様々なエサを食べます。
捕食者にはシャチやホホジロザメ、ニシオンデンザメ、クマ、コヨーテ、ボブキャット、トド、セイウチ、ハイイロアザラシ、ワシなどがいます。
行動・社会
昼行性の彼らは、海では単独ないし小さい集団で見られます。
沿岸で暮らし、潜水は通常100m未満です。
定住性が強く、休息や繁殖の場となる岩礁などのホールアウトに定着します。
回遊の習性はありませんが、若い個体などは繁殖地から数100㎞の移動をすることがあります。
乱婚、一夫多妻、一夫一妻など様々な配偶システムを示します。
オスは繁殖期、ホールアウト場所近くにマリトリーと呼ばれるなわばりを作ったり、ひれを打ち付ける、回転するといったディスプレー、音声を駆使したりし、メスを惹きつけます。
交尾は水中で行われます。
繁殖
繁殖には季節性がありますが、時期は地域によって様々で3月から9月にかけて出産が見られます。
メスは2.5ヵ月程度の着床遅延を含む約10ヵ月の妊娠期間ののち、0.8~1m、8~12㎏の赤ちゃんを一頭産みます。
赤ちゃんは新生子毛(ラヌーゴ)を胎内で脱いで大人と同色で生まれてくることが多いため、すぐに泳ぐことができます。
母乳に占める脂肪の割合は50%と非常に高いです。
生後4週まで授乳は続きますが、ハイイロアザラシのように母親が絶食することはありません。
性成熟にはオスが4~6歳、メスが3~5歳で達します。
寿命は長いと約30年です。
人間とゼニガタアザラシ
絶滅リスク・保全
沿岸性という性質から、彼らは古くから毛皮や肉などを利用されてきました。
特に大戦後は物資不足により乱獲が進み、各地で個体数が減少します。
しかし、1970年代以降世界で環境保護意識が高まり、米国では1972年に海棲哺乳類保護法が成立するなどして、個体数は増加に転じます。
現在、全個体数は60万頭以上と推測されており、IUCNのレッドリストでは軽度懸念の評価です。
脅威としては漁具への絡まり、混獲、有機塩素やPCBsなどの有害物質などがあります。
また気候変動、特に地球温暖化はアザラシジステンパーウイルス(PDV)などの蔓延を助長しかねません。
北大西洋では1988年と2002年、気温が高くなりコロニーの密度が高くなったことで、PDVが蔓延し、ゼニガタアザラシの大量死が起きています。
日本では乱獲や生息環境の悪化により、個体数400頭未満まで減少し、環境省によって絶滅危惧種に指定されていましたが、今では個体数が回復し絶滅危惧種からは外れています。
一方で、個体数増加によるサケやタコなどの漁業被害が深刻化しており、特定希少鳥獣管理計画の対象種となっています。
動物園
特に北海道に生息する野生個体は、動物と人間の共存をはかっていくうえで、重要な存在です。
日本では水族館や動物園でも彼らを見ることができますが、彼らを見る際は、ぜひ北海道での野生個体と人との共存に思いをはせてみてください。